バッティングの神様・榎本喜八の話
2017/02/02
少し前になりますが荒川博さんがお亡くなりになりました。
荒川さんと言えば榎本喜八さんが個人的には思い浮かびますし、榎本喜八さんと言えば、今シーズン打率.339でパ・リーグ首位打者を獲得した角中勝也選手が思い浮かびます。
角中選手のバッティングはタイミング理論
ロッテ・角中「全てはタイミング」目指すは“平成の榎本喜八”http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/02/kiji/K20160902013277580.html
この記事の中で角中選手は「ノーステップにしておいて矛盾しているようだけど、一番大事なのはタイミング」「ステップしていなくても、身体の中ではステップを踏んでいる」と語っています。
普段パ・リーグの試合はほとんど見ず、角中選手のバッティングもそんなに見た事がなかったのでちょっとyoutubeで角中選手の2016年のバッティング動画を探してみました。
これは良いバッティングのシーンばかり集めた動画なので当然良いバッティングになっています。
特に個人的にすごく良いと思ったのは、スイングする時に下半身が開いて、上半身は最後まで開かないところです。
これはタイミングを合わせる為には必須の条件だと個人的には思っていて、角中選手のバッティングは本当に教科書に載せたくなるくらい理想的です。
あとはバットのヘッドが下がらず、点ではなく線でボールを捉えられているところがすごいです。
これは下半身主導のバッティングとも通じますが、角中選手は打つ時にボールとバットが接するまでは肘が緩く曲がった状態になっています。
イメージ的にはトップを作った時に肘の曲がり方を維持したまま、そのままスイングに入って、ボールを捉えてからフォロースルー時に肘を伸ばして力をボールに伝えるような感覚です。
これは打率を残せるバッティングだし、ボールに力を上手く伝えられるバッティングだなと思いました。
バッティングの神様、榎本喜八さんとは
2016年パ・リーグ首位打者の角中選手に、上記事の記者である渡辺剛太さんが榎本喜八の著書「打撃の神髄 榎本喜八伝」という本を勧めたそうです。
榎本喜八伝の中には「タイミングなんてなくなっちゃったんです。最初からないからタイミングが狂わなくなったですね」という言葉が出てきます。
榎本喜八さんのプレーは実際に見た事がないですが、とにかく相当なレベルの奇人だったようで「タイミングなんてなくなっちゃった」というのも榎本喜八さんにしか到達できない境地から発せられた言葉だと思うと、気の遠くなるような気持ちになります。
こちらもyoutubeで動画を探すと、1966年にバッキー投手と対戦している動画だけ見つかりました。
パッと見、まぁ昔の時代のバッターっぽい動きだなぁという印象ですが、0:25くらいのところで、見ていて心臓が止まりそうになりました。
そこはボール球を避けるシーンですが、あれがストライクゾーンに来ていたら思い切り打ち返していただろうなというのは容易にイメージできます。
あれは変化球でしたが、仮にストレートでもタイミングよく打てるだろうなという印象のフォームですし、すべてのボールにタイミングが合っていそうな感じの構えです。
こんなバッターに対峙すると本当に厄介だなと投手の方に感情移入してしまいました。
また構えのはじめからトップの位置にグリップがありトップを作るまでの動きが超自然です。もちろんグリップも身体の近くにあるので、下半身が始動、身体の軸が回転、腕は勝手に振られるというイメージでスイングできていて凄いです。
榎本喜八さんは選球眼が素晴らしく、高卒1年目と2年目に最多四球を獲得したという珍しい記録が残っています。
選球眼はもともとの才能に依る部分もありますが、榎本喜八さんのように無駄のない、合理的なスイングができる事はボール球に手を出さないで済む為の一つの要因です。
榎本喜八さんのトレーニング理論
そんな榎本喜八さんのトレーニングはとても奇妙だったそうです。
合気道や居合を習得し、それらの身体の使い方をバッティングに活かした事であの天才的なバッティングが完成したそうです。
荒川から学んだ合気道打法について、後年に榎本喜八さんは
「バッターボックスの中にお城を構えているのと同じことなんです。私の体の前、ピッチャー方向に外堀と内堀があって、その間でボールを処理すると、バットは速い球にも負けないんですよ。」
「外堀と内堀の幅は合わせて30〜40cmぐらいでしょう」
「死にものぐるいでバットを振っているうちに、内堀と外堀のことがわかってきました」
と語っています。
このコメントからしてもう天才としか言い様がないですが、言わんとしている事はなんとなく分かるのは私だけでしょうか。
素振りを徹底的にこなし、その後は素振りすらしない練習法にたどり着いた
若い頃からとんでもない数の素振りを繰り返して、無駄のないバッティングフォームを確立したというのは今のカープで言えば鈴木誠也とかなり重なります。
それだけ素振りを繰り返した結果、無駄のない完璧なバッティングフォームが身体に定着し、あとはその調整が練習になっていったようです。
実際に練習前の調整方法として、
大鏡の前でバットを構えたまま微動だにせず、30分程経過したところでようやく構えを解き、満足気な表情で「いい練習ができた」と言ったという逸話もあります。
この練習方法について榎本喜八さんは後年
「構えたバットの先端が右目の視界の端にちらつく状態がバッティングにおける理想型であり、その微調整をしていた」と語っています。
さらに
「要はボールを最短距離でミート出来る位置にバットのヘッドがあるかどうかが重要なのであって、それを確認するのにスイングする必要は無い」
とも言っています。
ただ鏡の前で突っ立っていた訳ではなく、相手投手をイメージしながら間を合わせる練習だったんだろうなと思えば、個人的にはこの練習は物凄く理解できるし共感できる練習だと感じます。
ピッチングでも実際に投げるだけではなく、例えば両足で立っている時の重心バランスを意識すればそれだけで十分な練習になると個人的には考えています。
そういう意味で榎本さんが語っていた
「体(たい)が生きて、間(ま)が合えば、必ずヒットになる」という言葉はすごく納得できます。
一流選手からの榎本喜八さんへのコメント
そんな榎本喜八さんに対し、一流選手の多くが称賛のコメントをしています。
張本勲さんは
「左打者の理想は榎本さん。教科書になるフォーム。ほとんど動かない。体も開かない」
「教科書になるようなバッティングなんですよ。正確に強い打球を飛ばすには、反動をつけたりしないで、本当は構えてから動かない方がいい。榎本さんは反動も使わず、構えてからなかなか動かない。」
「野球は動くボールを打つのだから動かないのが理想だが、それではボールの速さに負けるので、普通は反動をつける。足を上げるにも、そのひとつ。だが、榎本さんは、まったく動かなかった。バックステップ、テイクバックもなかった」
「『静』の中に『動』があるフォーム。」
野村克也さんは
「王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ」
「王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとしても攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ……。ホント、あんな恐ろしいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」
「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。」
稲尾和久さんは
「とにかくボール球は絶対と言っていいほど手を出さなかった。外角ギリギリに投げ込んだスライダーを、ピクリともせず見送られたのにはまいった」
「構えたままで見切る、ボールの見送り方が嫌だった。無気味なくらいの集中力を感じましたね。」
荒川博さんは
「何よりボールの引きつけ方が違った。ヘッドスピードが速いから、ボールがホームベースへ入ってきてストライクだったら、ゆっくり打つ。今の選手みたいにヤマを張る必要がなかった」
これらのコメントを読んで、改めて上に載せた榎本喜八さんのバッティング映像を見ると、もう怖さしかありません。恐ろしいバッターです。
そんな榎本喜八さんは、実はカープの前田智徳について
「話を聞く限り、彼には私と共通するものがあると思います」とコメントしたそうです。
なんとなく理解できる逸話です。
バッティングもピッチングも身体との対話
とにかく奇人変人で、晩年は奇行の方が目立ったそうですが、コメント内容は本当に実感を伴って理解できます。
榎本喜八さんは身体と対話をしながらバッティングの道を究めようとしていました。
それは今の時代でも確実に通用する練習ですし、自身の身体をないがしろにした野球ではどうやっても上限があります。
ただ単に決められた練習を上辺だけで行ってもしょうがないし、自分の身体と対話をしながら、自分に必要な練習、実戦で結果を出す事を常に想定した練習を繰り返す事が大事なんだろうなぁと改めて思わされます。